主にマイナー路線を突っ走る、うぃにーによるみーはーブログです。 その時々にハマっていることをタイトル通りかきなぐります。

いまだミュの感想も書けていない状態で他の話題を持ち出すとはどうよ、とった感じなのですが、先日観た「鶴瓶のニッポン武勇伝“言わずに死ねるか”我が家のスゴい人GP」という番組で紹介された話があまりに衝撃的だった為、少々ご紹介したいと思います。
続きを読むにて↓↓↓

(1月13日に放送されたのですが、どなたか録画された方いらっしゃいませんか?是非保存しておきたく、ダビングさせていただきたいのです・・・)

この番組は前回も戦艦大和乗船者の話が聞きたくて観たことがありました。
今回は新聞で「ひめゆり」の文字を見つけたので観ることにしたのです。

ひめゆり学徒隊については昔から色々と話を聞いたことがあり、数ヶ月前にはふとネットで検索して資料を読み漁ってもおりました。なので、ひめゆり学徒隊以外にもいくつかの学徒隊が存在したことは知っていましたが、今回この番組で紹介されたのは、そのうちのひとつ、「積徳学徒隊」でした。

以前ネサフして色々と読んだ時、なんと酷い話だろうと思ったものですが→ひめゆりを始めとする各学徒隊は、沖縄戦も終盤に差し掛かると“玉砕命令”ともとれる“解散命令”が出され、戦場に放り出されます。この解散後に亡くなった方が多かったそうですね。

そんな中、前出の積徳学徒隊は非常に生存率の高かった部隊なのです。
私の祖父も言っていたそうですが、日本の軍隊は上官次第で環境というか境遇というかが非常に変わってきたそうです。(まあよく映画とかで出て来るような無茶苦茶な上官というのはやはりゴロゴロしてたそうで、そんなのの下に配属された日にゃもう悲惨な状況だったそうで・・・)
例に漏れず地獄のような野戦病院での激務に就いていた積徳隊ですが、配属先の隊長である小池勇介軍医が非常に素晴らしい方で、この方のおかげで生き残れたと、いまでも生存者の方が感謝しておられるそうです。
「ようこそおいでくださいました」と礼儀正しく彼女達を迎えた小池隊長は、「命を粗末にするな」という考えを持ち、いい人だ、お父さんのようだと、親元を離れて戦場で不安な日々を過ごすまだ少女の学徒隊に慕われていたようです。
糸洲の壕に移動したのち、積徳隊にも残酷な「解散命令」が下されますが、小池隊長は、こんな状況でこの子たちを放り出せないと命令を握りつぶし、いつ逃がせばいいかと悩みつづけ機会を待ちました。
約1週間後、沖縄戦の戦闘終結が発表され司令官が自決したことを得て、小池隊長は解散を決意し少女達を集めます。
「日本は負けたのです」と伝え、「長い間軍に協力してくださりご苦労だった」「負ける戦だと分かっていれば、君たちを預からなかった。親御さんに何とお詫びしたらいいか・・・本当に申し訳ない」と頭を下げます。アメリカ軍に捕らえられるくらいなら自決すると言う少女たちに、「だめだ。捕まることが恥ではない、命を粗末にすることが恥なのです。必ず生き延びて親元に帰りなさい」と諭し、1人1人と握手を交し、北極星を頼りに北へ行きなさいと逃がします。ですが翌日、怖くて壕の近くから離れられずにいた少女が、アメリカ兵の落としていったタバコを拾い、小池隊長に贈ろうと壕の中へ戻りましたが、昨日少女たちに生きよと諭した隊長は、毒をあおって自決していたのです。変わり果てた小池隊長の姿を見たこの少女は、ショックでその後の記憶が少し欠けてしまったそうです。

その後銃撃などで3人は亡くなってしまいますが、それでも積徳隊25人のうち、22人は助かったそうです。


私も完全な戦後生まれで、戦時中のことは体験談や映画や本でしかしりませんが(まあ長崎で生まれ育ったので語り部さんなどの話を聞く機会や平和学習を受けた回数は多い方だとは思いますが・・・)、戦時下で小池隊長がどんなに凄い方であったかというのは、その私でも分かります。
「捕虜になることは恥」と教えられ、軍隊では例え上官であっても投降を提案すれば逆上した部下に殺される恐れもあったという時代に、「生きよ」と説いたことがどんなに恐ろしく素晴らしいことであったか。医者であったとはいえ、ヒステリーで突っ走っていた軍国主義の中で、これだけの崇高な意識を保てたことがどんなに素晴らしいことだったか。そして最後の最後に「捕まることが恥ではない」と説いた勇気。特に地上戦が繰り広げられた沖縄では多くの集団自決があった中、この隊も小池隊長が「自決しよう」と言えば、皆がそれを望んでいようがいまいが実行されていたでしょう。

「生きてこの戦争のことを後世に伝えてください」という小池隊長の言葉を胸に語り部となった方が今回テレビに出演されていたのです。

小池隊長は元々は長野県の出身だそうで、2001年にはNHKの番組で紹介されたそうですね。
観たかったです。。。(どなたか録画されてませんか)


いつか沖縄へ、平和学習の旅へいけたらと思います。

テーマ:戦争・原爆 - ジャンル:政治・経済

はじめまして
 小池先生は私の地元の人なのですが あまり知られていないのが残念です。

 入手可能な文献の紹介をします。
 沖縄で小池先生の部下だった 遠藤幸三氏 (金沢赤十字名誉院長)が手記を出版しています。絶版ですが図書館でさがしてみてください。

 青年医学徒の沖縄戦回想記
  さすがに医師らしく 冷静に状況を分析しています。
 小池先生が 軍医召集にあたって遠藤医師を選んだのは、宴会の幹事がうまかったためとか,  豪の中では 断酒のためうつ状態だったとか。
 地元の逸話でも 休診日には 必ず早朝から温泉に出かけてしまったとか。
つまり  田舎では 小池先生は酒好きのごく普通の人間だった

 この「普通の人」だったところに意味があると思います。
 
              八千穂 から  ひで
【2007/01/18 Thu】 URL // ひで #- [ 編集 ]
ありがとうございます!
ひで様

貴重な情報をありがとうございます!
是非探して読みたいと思います。

小池隊長のあのお話は、涙しながら観ましたが、何というかほんとうに衝撃でした。
時々ドキュメンタリー番組で、あまり知られていない偉人が紹介されたりしますが、本当に素晴らしいことをしたのに極一部でしか知られていなかったり、海外では英雄なのに故郷の日本では全くの無名、等といったケースが多い気がします。
日本はこういった方々の存在を学校の授業や色んな機会にもっと教えられればいいのにと思います。

【2007/01/19 Fri】 URL // うぃに #- [ 編集 ]
いいお話は 連鎖するようで、私が小池先生に興味をもったきっかけは
次のエピソードです。

 佐久病院看護専門学校でのお話。

 元積徳高女看護隊のみなさんが、 平成4年の秋 小池先生の墓参来たとき、ある夫婦が沖縄にもどれなくなりました。
 それは 夫が意識不明となり、佐久総合病院に長期入院してしまったためです。
 そこで看護実習にきていた学生となかよくなり、過酷な沖縄戦での看護体験を話してくれたそうです。
 
わずか3週間の看護教育で戦場に投入され、そして戦場の洞窟での過酷な看護体験が まったく対照的な 近代的な病室で、看護学生に伝えられるという場面は、まさに 小池先生の願った以上のことではないでしょうか。

 小池先生の最後の言葉が 故郷の佐久にとどけられたことが 実に重要なことです。
  
 年があけて3月、看護学校の卒業の日 早朝から雪でした。
 そして雪のうさぎが病室にとどけられました。
学生が 病状の回復を願って作ったものです。


 時代と環境 が異なっても 看護の本質は変わらないものだと思いました。

     八千穂から  ひで
【2007/01/19 Fri】 URL // ひで #- [ 編集 ]
ひで様
ふたたびコメントをいただきましてありがとうございます。
ほんとうに、故郷のしかも看護学生に伝えられたとは素晴らしいことですね・・・。まさかそんなエピソードがあったなんで思いもよりませんでした。
今度はそれを次の世代に伝えていくことが私たちのすべきことなのだろうなと思いました。
戦後かなりの年月が経過し、こちら長崎でも被爆体験者が少なくなりつつあります。
語り部さんやボランティアガイドの方々が地元学生や修学旅行生などに体験談を話されていますが、これに関心を持ち、伝え聞いた戦争の話を若い世代がいかに明確に次へ伝えていくかがこれから先の大きな課題のような気がします。
【2007/01/22 Mon】 URL // うぃに #- [ 編集 ]

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