この番組は前回も戦艦大和乗船者の話が聞きたくて観たことがありました。
今回は新聞で「ひめゆり」の文字を見つけたので観ることにしたのです。
ひめゆり学徒隊については昔から色々と話を聞いたことがあり、数ヶ月前にはふとネットで検索して資料を読み漁ってもおりました。なので、ひめゆり学徒隊以外にもいくつかの学徒隊が存在したことは知っていましたが、今回この番組で紹介されたのは、そのうちのひとつ、「積徳学徒隊」でした。
以前ネサフして色々と読んだ時、なんと酷い話だろうと思ったものですが→ひめゆりを始めとする各学徒隊は、沖縄戦も終盤に差し掛かると“玉砕命令”ともとれる“解散命令”が出され、戦場に放り出されます。この解散後に亡くなった方が多かったそうですね。
そんな中、前出の積徳学徒隊は非常に生存率の高かった部隊なのです。
私の祖父も言っていたそうですが、日本の軍隊は上官次第で環境というか境遇というかが非常に変わってきたそうです。(まあよく映画とかで出て来るような無茶苦茶な上官というのはやはりゴロゴロしてたそうで、そんなのの下に配属された日にゃもう悲惨な状況だったそうで・・・)
例に漏れず地獄のような野戦病院での激務に就いていた積徳隊ですが、配属先の隊長である小池勇介軍医が非常に素晴らしい方で、この方のおかげで生き残れたと、いまでも生存者の方が感謝しておられるそうです。
「ようこそおいでくださいました」と礼儀正しく彼女達を迎えた小池隊長は、「命を粗末にするな」という考えを持ち、いい人だ、お父さんのようだと、親元を離れて戦場で不安な日々を過ごすまだ少女の学徒隊に慕われていたようです。
糸洲の壕に移動したのち、積徳隊にも残酷な「解散命令」が下されますが、小池隊長は、こんな状況でこの子たちを放り出せないと命令を握りつぶし、いつ逃がせばいいかと悩みつづけ機会を待ちました。
約1週間後、沖縄戦の戦闘終結が発表され司令官が自決したことを得て、小池隊長は解散を決意し少女達を集めます。
「日本は負けたのです」と伝え
、「長い間軍に協力してくださりご苦労だった」「負ける戦だと分かっていれば、君たちを預からなかった。親御さんに何とお詫びしたらいいか・・・本当に申し訳ない」と頭を下げます。アメリカ軍に捕らえられるくらいなら自決すると言う少女たちに
、「だめだ。捕まることが恥ではない、命を粗末にすることが恥なのです。必ず生き延びて親元に帰りなさい」と諭し、1人1人と握手を交し、北極星を頼りに北へ行きなさいと逃がします。ですが翌日、怖くて壕の近くから離れられずにいた少女が、アメリカ兵の落としていったタバコを拾い、小池隊長に贈ろうと壕の中へ戻りましたが、昨日少女たちに生きよと諭した隊長は、毒をあおって自決していたのです。変わり果てた小池隊長の姿を見たこの少女は、ショックでその後の記憶が少し欠けてしまったそうです。
その後銃撃などで3人は亡くなってしまいますが、それでも積徳隊25人のうち、22人は助かったそうです。
私も完全な戦後生まれで、戦時中のことは体験談や映画や本でしかしりませんが(まあ長崎で生まれ育ったので語り部さんなどの話を聞く機会や平和学習を受けた回数は多い方だとは思いますが・・・)、戦時下で小池隊長がどんなに凄い方であったかというのは、その私でも分かります。
「捕虜になることは恥」と教えられ、軍隊では例え上官であっても投降を提案すれば逆上した部下に殺される恐れもあったという時代に、「生きよ」と説いたことがどんなに恐ろしく素晴らしいことであったか。医者であったとはいえ、ヒステリーで突っ走っていた軍国主義の中で、これだけの崇高な意識を保てたことがどんなに素晴らしいことだったか。そして最後の最後に「捕まることが恥ではない」と説いた勇気。特に地上戦が繰り広げられた沖縄では多くの集団自決があった中、この隊も小池隊長が「自決しよう」と言えば、皆がそれを望んでいようがいまいが実行されていたでしょう。
「生きてこの戦争のことを後世に伝えてください」という小池隊長の言葉を胸に語り部となった方が今回テレビに出演されていたのです。
小池隊長は元々は長野県の出身だそうで、2001年には
NHKの番組で紹介されたそうですね。
観たかったです。。。(どなたか録画されてませんか)
いつか沖縄へ、平和学習の旅へいけたらと思います。
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